占術 義人伝

【風水】墓じまいか。永代供養か。郭璞の葬書にみるお墓の相

お墓を建てる価値観

まずは 親と相談すべき

先祖の墓があるが、見る人がいないということで、墓じまいするかと考えている人も少なからずいます。また、親がいるけど、そんな信仰心もないし、寺の檀家とか知らないし、墓は作らないと決めている人もいるでしょう。

まず、親が亡くなる前に気にすることは 自分の葬式についてと、お墓についてです。
お墓相としては、墓じまいか永代供養かといったことをお話ししようと思います。

世間的に言って、お墓の話はなかなか表には出てきませんが、親が元気なうちに話しておくべきものと認識しています。

墓石の顔として書かれる文字も、南無阿弥陀仏 南無妙法蓮華経 先祖の墓 先祖永代の墓 ○○家の墓 ○○家奥津城とそれぞれ個性を表現した書き方もあります。またお墓のお参り方もそれぞれの地方地域によって違ってきていますし、宗教、宗派によって様々です。
私たちは、お墓を先祖が眠る家としてお参りし、近況を話したり、今生きている人間の幸福と幸せを願いお祈りします。

お墓の話は、親が元気なうちに相談すべきです。お墓を建てる場所を決めておくことで、実は後に生まれてくる子供たちに少なからずの影響を与えるからです。
お墓の位置が良かったので、後孫が幸せに暮らせたという話は多く聞きます。またその反対もしかりです。

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中国に伝わる逸話

年老いた自分の両親が亡くなり 葬式を出せるほどの金銭もなかった青年が、せめて亡くなった両親が寂しくないようにと 山奥で風がさわやかに流れ雰囲気のいい場所に穴を掘り、亡骸を埋めました。そののち青年の努力もあったのでしょうが、あれよあれよという間に出世して 時の大臣にまで上り詰めました。その時いつも思うのは、両親のことでした。生きているときに親孝行できていないことを悔やみ、せめてお墓は立派にしようと、大臣になって早速、風水師に、両親のお墓の位置でよいところを探してほしいと願い、

両親を埋葬うしているところに案内したら その場所こそが明堂のよき場所であったという。

また、王様を殺害するために、両親の墓を荒らしたり,傀儡の呪詛を行うなど 本人に関係ないと思われるお墓にかかわる内容も多く言われます。

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お墓は何のために建てるのでしょう。

世界最大に高く建てられたお墓として有名なのがクフ王のピラミッドです。最近の研究ではお墓ではないといわれていますが、周辺にはその時代の王族、貴族がミイラとして保存され豪華な棺で、埋葬されています。

日本にも、世界最大のお墓として有名なのが、仁徳天皇の前方後円墳というかぎ型の古墳が有名でしょう。こういった古来からのお墓は土葬が主流として作られています。

埋葬された場所がお墓として残っているのは、人が生きた証であったり、後孫に対してに対しての記録になります。

お墓は、現代人が、先祖がどんな風に生きたかを知る手掛かりであったりします。
私が先祖を知ろうとすると、役場に行って抹消登録書を取ってきて、家系図を書きますが、それも、江戸末期 戸籍登録が始まった明治時代までは探し出すことができますが、それより昔、明治以前のことを調べるには、檀家のお寺に行き、過去帳を出していただいて自分で探しだすか、自分の先祖の墓の裏面、側面に或る風雨にさらされた文字を読み解くしかありません。

自分の出生を知ることはとても重要であると思いますが、いかんせん今の時代、過去の内容を知ることさえ困難となってきています。そこに来て墓じまいとなると生きた証を自ら抹消することにならないだろうかと心配もあります。

人が生きた証は、お墓ばかりではありませんが、日本の歴史を生きてきた先祖が、自分の代で終わらせるというのは、名前も、人格も 生きた証も消えてしまいます。といっても、世界には、骨さえ残さず、消してしまう葬式も確かにあります。

チベットの奇葬と知られている鳥葬は山の岩場に行き、ムクロをばらし 骨さえ砕きハゲワシに食べさせて天に送り出すといったものやインドのガンジス川にムクロを流したりする葬儀も確かにあります。

日本の場合こうした奇葬をしているわけでもなく。先祖に対して”どうか安らかにお休みください”という慰労と安寧の心から先祖供養としての供養塔でもあるわけです。
しかしその反面、今の時代お墓なんて時代遅れ、いらないし、供養も世代が変われば忘れられるとお墓を建てない。墓じまいと言われて終活する方も確かに増えています。

運勢を良くしたいならお墓も意識する

私は一人で生きていけません。それはだれもが思うことでしょう。食べること、寝ること、仕事をすること、様々な選択をしながら私たちは生きています。究極に突き詰めると私たちの人生は二者選択の人生だと言えます。

右か、左か 上か下か 男か 女か 可愛いか可愛くないか 人は善か 悪か 愛しているか 愛していないか 意識してるか 意識してないか 幸せか 幸せではないか あの世はあるのか あの世はないのか 神はいるのか 神はいないのかと、極めていったとき私たちは選ぼうとするとどっちなんだとなります。
右があるから左が存在し、上があるから下が存在するように意識いかんによってはどちらかを意識していきます。

私たちは誰しもが幸せになりたいと願っています。お金がたくさんあるから幸せと思う方もいます。家族がいて幸せと思う人もいます。幸せの基準をどこに置くかで、幸せの度数は決まってゆきます。

こういった思いや、何を判断するのかという心のバロメーターは
実は先祖から多く影響していることが多くあります。
科学的な現代でそんな目に見えないわけのわからんことを言うんじゃない。今まで読み進めてきた結果がそんな鬼神、そんなお化けの類かというかもしれませんが そうではありません。

私たちの細胞は、過去からの記憶の連続で繋がつて生きています。先祖が私に影響を与えるというのは、私の血を通して私に影響を与えているので、物の見方、考え方が似てくるので、判断することも似てきます。お墓を意識して建てた場合と意識していない場合もまた。そういった判断をすることも結局大半が 先祖の思いの影響を受けています。ですので、墓じまいか永代供養かと考えてみた時、おのずと答えが見えてくるのではないでしょうか。

郭璞の葬書は、お墓の択地法

今までお話ししたように お墓は 先祖を表し、その生きた証は現在の私たちに影響を与え、未来の孫、ひ孫続く未来につながっています。このようなお墓や死者の埋葬を見た義人が、古代中華に存在します。
それが、郭璞(かくはく)です。(ウィキペディア)

郭璞《AD276〜324》は、字を景純といい、河東、中華人民共和国現在の山西省聞喜県〉の生まれました。郭璞が残した書物に「葬書」があります。これは当時の建国間もない東晋王朝(とうしん)の権力者に重宝されました。

「葬書」は 死者を葬る際に、墓地を選定する択地法を記したもので、風水の基本的文献とされ、晋の郭璞の著と伝えられているものです。郭璞の著した「葬書」は別名「錦嚢経」(きんのうきょう)といわれ、あらゆる風水理論がこの一書から発展してきました。

郭璞は、管輅(かんろ)が没して、 20年後に生まれており、風水学草創期に活躍した人物ですので、その技術や感性は抜きん出たものがあり、天文 卜筮(ぼくぜい)水土 五行によく精通していましたし、後代に与えた影響から、風水学史上においては、必ず登場する人物です。この郭璞が残したのが「葬書」でした。

お墓の教本 葬書は死者を葬る際に、墓地を選定する択地法を書いたものです。 郭璞《AD276〜324》は、字を景純といい 風水の名付け親
中華五術に精通していまし、四八歳で処刑され仙人になりました。

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「葬書」は、墓地の選定、択地(たくち)に関わる書物

「葬書」の中には、お墓を立てるのに良い外観や景観 地勢(ちせい)を見ることにより判断するとあります。これは、風水でいう巒頭法(その土地の気の勢いや質を地形等の形成を目で見える有形のもので判断する方法)で、「葬書」本書が先祖を敬い、先祖を良い土地に葬ることで現世(げんせ)に生きる子孫に繁栄と栄華を与えるという思想や概念が脈々と流れているゆえです。しかし、ただ単に、見た目が良い 雰囲気がいいと言うのでもありません。

郭璞の「葬書」には、風水の説く「気」が存在していて、地勢(ちせい)としての大地に流れる大いなる「氣」の流れも見つつ良地を探索していきます。そこには、大地に流れる「気」は、その地勢、地形が反映して形として現れていると見ているからです。

古代中国では 死後肉体は、地に戻り万物の源、五行に戻るのだとしています。先祖崇拝は、非常に大切にしていて、孔子も、母がなくなったのち 墓の横に小屋を立てて3年喪に服し、朝晩の礼をかかさず行いました。

古代中華では、先祖は大地より そのムクロ、魂魄(こんぱく)が子孫に影響すると考えていました。

葬書の一節、

葬者乘生氣也 五氣行乎地中 然而生乎萬物、
人受體於父母本骸、得氣遺體受廕、
經曰、氣感而應鬼、福及人、

葬者は生気に乗ずる 五行の氣は地中をめぐり 万物を生む人は体を父母のムクロから受け 氣を得て体を育て のたまわく 死後の氣を受けて 人は福をなす。
“父母の命は大地に帰り 五行の気は大地をめぐり、その生気は 生きている子孫に影響を与えているわけです。“

死後 魂魄(こんぱく)は、父母のムクロと同じ肢体を持つ後孫に幸せをもたらすのですが、そのためには、父母のムクロから生気が出る場所に埋葬しなければなりません。良い気は 良い気を生みますが、悪い氣は 悪い気しか生みません。

良い気はよい気を生む
悪い気は悪い気を生む

人が住む場所もそうなのですが、心地よくない生気の落ちた場所で生活すると 気分も落ち 知らず知らずのうちに 母親から受けた先天の気を失い、気力体力を落としてしまいます。
しかし問題は、私たち人間は 血を通じて、血統により先祖の住むお墓の環境も影響を受けているということです。

父母の埋葬の仕方によっては、その子孫はいい気を受けて生きるのか悪い氣をうけるのか 変わってくるわけです。

例えば、私達の住んでいる家を見てみましょう。

隙間風が吹く家と 暖炉のある家では、どちらが幸せでしょう。隙間風の家は見るからに寒々しく 風邪をひきやすく病気になりやすいものです。暖炉のある家は 暖かく健康に生きていけます。

私達の父母が葬られる土地が 寒々しいのか、ポカポカして居心地がいいのかによって子孫に与える父母のムクロから流れる氣の質が変わるので、葬書では、見栄えがよく 暖かく 居心地のいい場所を選ぶための方法を教えています。

人体にも 任脈 督脈などの気の流れる気脈があります。葬書では、大地の地勢 気脈がその勢いにより山の形を形成すると考えています。人の体に流れる気質がその人を創るように、大地に流れる気脈が 大地を形成していると見ているわけです。


葬書に息づく内容は、ただ単に大地を見て判断していません。郭璞の思考のベースは天文 卜筮(ぼくぜい)水土 五行によく精通していました。中華五術をふまえ、天文学をみて大地の気脈を見ていました。
郭璞は、後代に与えた影響から、風水学史上においては、必ず登場する人物です。郭璞の著した「葬書」は別名「錦嚢経」(きんのうきょう)といわれ、あらゆる風水理論がこの一書から発展しています。

葬書より、 風水之法、

經曰氣乘風散 界水則止 、
古人聚之、使不散行之、使有止、故謂之風水、
風水之法、得水為上、藏風次之 、

「気は風に乗じて散じ、水に界れば(さわれば)即ち止まる。古人はこれを聚めて(あつめて)散ぜしめず、これを行いて止めるあり、故にこれを風水という」風水の法は、水を得ることが優先され、風を貯えるのを次とするという風水を学ぶ者にとっては、余りにも有名な「葬書」の一節であります。
気は、風にあたると散ってしまうので、水にとどめなさいよといっているのです。

形から言えば 家の庭があるとします。その庭に池があり、家の周辺を塀や、木で囲ったとします。風が吹いても 庭は平穏になります。もし、周りに塀や木がないとどうなるでしょう。家を守る塀がないので、 風が吹き抜けて行きます。

大地においても 水があり 山々に囲まれた場所は、気持ちのいい場所です。そのような山に囲まれた気持ちのいい場所に 「気」を貯める方法を「藏風法」と呼びました。

郭璞は、晋の国の元帝に重用され、建国の為の一切の制度を

「上は天文星象に範をとり、下は河図洛書に則った」(神仙伝)

といつています。つまり天の星を読み、伏羲ののこした河図洛書(先天八卦図)を使って国事を行ったということです。

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上は天文星象に範をとり

天文星象とは、
天の太陽、月という陰陽原則に星の運行を模範として、天の気が地に向かって下降し,地の気が天に向かって上昇し,その両者が大気中にて交わり,その力によって万物が育成するという天地自然の本質の図。

郭璞が得意とした 天文 卜筮(ぼくぜい)水土 五行を利用したのが 大地の気の流れでした。伏義の河図にも精通し、天の運行 地の運行を見極めたわけです。

親の死後、魂魄(こんぱく)は、父母のムクロと同じ肢体を持つ後孫に幸せをもたらすため、父母のムクロから生気が出る場所に埋葬しなければならない。として陰宅としての墓の作りを重要視しました。

そこには人が生きているのも、任脈、督脈という気の流れがあるように大地にも生命力を高める気の流れがあるとみて、それは、墓の位置 向く方向 周囲から受ける影響を判断し、よい気が流れる土地を探し出しお墓を建てることで後孫に幸せをもたらすのです技法として発展しました。

墓じまいか、永代供養か

こうしてみてきた内容をまとめますと

人は重要なときの選択をしなければならないが、大地から受ける生気によっているのでいい気を受けていればいい判断ができるが悪い気を受けていると判断を間違いやすくなります。特に先祖のお墓の状態で受ける影響は大きいと見ます。

ですので 郭璞は、天文星象(天体)を読み 天の運行を知り、先天八卦図を読み 地の運行を見てその中心の人の運を観ました。古来より墓の位置を重要視していたことを見れば、墓を終わらせることは その家系、その人の人生の終焉を表しているのでしょう。永代供養は,家系が続くことのあらわれでしょう。ここまでの内容を見て 二者択一の判断をしてください。

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