占術 義人伝

【風水】風水の名付け親。葬書を残した郭璞。

風水の法

”風水の法 水を得るを上と為し、風を蔵するはこれに次ぐ”とよんだのは郭璞(かくはく)。郭璞以前の風水草創期において、多くの逸話を残しました。
四九歳の年。王敦(おうとん)将軍の激高により、処刑されました。
処刑後、三日の後に、郭璞が、いつも着ていた平服や装身具を売り歩いていたという噂が聞こえてきて、 王敦将軍 が墓地におもむき、棺を開けると、郭璞の姿はなく空の棺桶だけが目前に置いてあるだけでした。

この話は、イエスキリストの復活にも似ています。ゴルゴダの丘にて、囚人たちと一緒に十字架にかけられ、わき腹を刺され、亡くなったのちに復活したくだりはとても有名ですが、郭璞もまた、処刑三日の後に、東晋 (とうしん) の南州にて、知り合いと談笑したとされています。

さて、郭璞ですが、まことに、いにしえより、仙人めいた話は多く残っています。
郭璞の学識は幅広く、非凡な洞察力や、類まれな能力を発揮した郭璞の才能に惚れた東晋(とうしん)の元帝(初代皇帝)明帝(二代目皇帝)成帝(三代目皇帝)に使えた王導(おうどう)に招かれ、東晋の国造りに関与しました。
初代皇帝の元帝の権力が二代目に移り、明帝一五歳の頃、この若い明帝をよく思わない人物がいました。明帝時代の家臣、大将軍王敦です。郭璞は、王敦将軍の参謀でもあリましたが、明帝にもよく呼ばれ、夢解きや、国の方針を相談されていました。このことは、自分の部下でありながら、明帝に呼ばれる郭璞に対しとて、面白くないし、まして代が変わり、まだ若い明帝など、気に食わない存在でもありました。そのようないらだちと、不満の矛先は、郭璞に向けられていったのでしょう。武力で勝ち上がてきた王敦将軍にとって才能ある郭璞は、目の上のコブでしかなかったのでしょう。

王敦将軍の夢解き

ある日、王敦将軍が自分が見た夢の夢解き郭璞にねがわれました。
郭璞は、王敦将軍に告げた言葉は、憤満するに値する言葉でもあり、いつも不満に思う郭璞を打つのには余りある言葉でした。
「王敦将軍。将軍の夢は、石頭城の外で額に汗し、河を鍬で耕していたとのこと、夢解きをすれば、河の中でどんなに鍬を振るったとしても、何が得ることができるでしょう。成功などありえないでしょう」

この言葉に、王敦将軍は、激高しました。明帝の家臣でありながら、国家転覆を狙う王敦将軍にとって、自分の計画は失敗すると言っているようなもだったからです。
王敦将軍は、震える扇子を郭璞に向けながら、血走る目でギロリと睨みつけ、「郭璞よ、貴管の寿命はいつだ」と聞くと「王敦将軍、私の寿命は今日限りに、終わります」と涼しく答えた。

郭璞の終活。

処刑場に赴く郭璞は、処刑武士にたいし、「私が一三歳の頃、川べりの柵があるところで、上着をかけていたが、それを取ってくれたのを覚えているだろうか」と、処刑武士と思い出話ともいわれぬ言葉を交わし、ぜひとも、昔のよしみに、私の持つ刀によって、私を切ってくれないだろうかというと言い、その言葉に感動を覚えた処刑武士が、 郭璞 の手より 郭璞 の刀を受け取り、その刀によって、刑を執行した。

仙人、郭璞の策略

処刑の後、東晋のまち 南州において郭璞を見たという町人が何人もいました。
郭璞は、自らの死を知っていました。どのような状況で、死ぬのかということも知っていました。
死を逃れることもできたでしょう。天文星象(天体)を読み 天の運行を知り、人の生き死にを良く知る郭璞です。北斗星君,南斗星君とも親しく生きた郭璞でしたが、この世を離れ、自らの刀に術をかけ、刀で着られることにより、復活する「兵解術」を使い仙人になりました。

このように郭璞、49歳にしてなくなりますが、残した多くの業績により、東晋時代の人物として名を残しています。幼いころより 天文星象(天体)を読み 天の運行を知り、 博学高識で古文奇文を好み、五術にたけていた郭璞の生涯でした

古来より堪輿と言われていた 天地を読む方法に 風水と名付けたのが郭璞です。

葬書と郭璞

經曰氣乘風散 界水則止 、
古人聚之、使不散行之、使有止、故謂之風水、
風水之法、得水為上、藏風次之 、

「気は風に乗じて散じ、水に界れば(さわれば)即ち止まる。古人はこれを聚めて(あつめて)散ぜしめず、これを行いて止めるあり、故にこれを風水という」

葬者乘生氣也 五氣行乎地中 然而生乎萬物、
人受體於父母本骸、得氣遺體受廕、
經曰、氣感而應鬼、福及人、

葬者は生気に乗ずる 五行の氣は地中をめぐり 万物を生む人は体を父母のムクロから受け 氣を得て体を育て のたまわく 死後の氣を受けて 人は福をなす。

“父母の命は大地に帰り 五行の気は大地をめぐり、その生気は 生きている子孫に影響を与えているわけです。“

あまりにも有名な、風水という言い方は、葬書の一節にでてきます。古来中華の基本的考え方には、氣に対しての内容が多くでてきます。氣を知らずに風水を語れず、また、氣を使う学問が風水とも言えます。

また。葬書は、内篇、外篇、雑篇に分かれていて、時代を過ぎて、編纂されてもいます。葬書,葬経とも呼ばれています。

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『葬書』内篇本文譯

葬者乘生气也。、五气行乎地中,
发而生乎万物。人受體於父母本骸、
得氣遺體受廕

葬ることは生気に乘せることである。
しかるに、五行のそれぞれの気は地中をめぐって、萬物を生み出しているからである。人はその身体を父母の骸骨より受け、気を得てその身体を全くして、父母の廕(たすけ)をうける。

经曰:气感而应,鬼福及人。
是以铜山西崩,灵钟东应。
木华于春,栗芽于室。

経にいう、気に感応して、鬼(死者)福運を人に及ぼすとこのゆえに、
これ銅山は西方に崩壊し、霊鐘は東に感応してなる
木は春に華さき、栗は家の中に芽ぶく。

盖生者气之聚,凝结者成骨,
死而独留,故葬者反气入骨,
以荫所生之法也。

思えば、生れるのは気が集まって固まり、骨となるからである。死ねば骨だけが残る。したがって、葬とは拡散した気を骨に再び入れて、生れることを助ける法なり

丘垅之骨,冈阜之支,气之所随。
经曰:气乘风则散,界水则止。
古人聚之使不散,行之使有止,
故谓之风水。

丘や壠(うね)の梁骨、丘や阜(丸い土山)の支峰、気が流れるゆえである。
ゆえにいう、気は風に乗って拡散し、水流によって止まる。
古えの人はこの風を集めて、拡散させないようにし、都城にこれを留めた。この故に風水という。

风水之法,得水为土,藏风次之。
经曰:外气横形,内气止生。盖言此也。

風水の法は、水を得ることを最上とし、風を蓄えることはこれに次ぐ
経にいう、外気(水流)は横(東西)に流れ、土の中の内気は生に止まる、というのはこのことをいう。

何以言之?气之盛虽流行,而其余者犹有止;虽零散,而其深者犹有聚。
故藏于涸燥者宜深,藏于坦夷者宜浅。

何ゆえに言うかといえば、気が盛んとなって流れ出ても、その余の部分はまだ土中に止まるものもあり、拡散しても土中深くにあるものは、集り結して止まるものもある。
故に乾燥した土地では気は深いところにあり、平坦な土地では浅いところにある。

夫阴阳之气,噶而为风,
升而且为云,降而为雨。
行乎地中而為生氣、
夫土者气之体,有土斯有气,
气者水之母,有气斯有水。

ゆえにいう、埋葬の浅さ深さによって気に乗ずることができれば、地中の生気を受ける。
生気の噫(嘆息)したものが風となり、天に昇っては雲となり、地に降りては雨となり、地中をめぐっては生気となる。
土は気の本体であり、土あれば気があり、気は水の母体であって、気があれば水がある。


经曰:土形气形,物因以生。
未气行乎地中,其行也因地之势,
其聚也因势之止。


ゆえにいう、土は気に形どり物を形づくる。これによって生ずる。
気は地中をめぐる。そのめぐるは地勢による。気が集まるのは地勢のたわむところによる。
埋葬は気の起るところに始まり、その止に乗ずるをいう。

地势原脉,山势原骨,
委蛇东西,或为南北。
千足为势,百尺为形。
势来形止,是谓全气,
全气之地,当葬其止。

地勢の原脈、あるいは山勢のもとの骨組みは、東西、南北に蛇行する。千尺(しゃく)の範囲を勢といい、百尺(しゃく)の範囲を形という。
遠く地勢の来現を見きわめ、近くの地形の変化を察する。これを気を全気という。
気を全うする地のその気の止まるところに埋葬すべきである。

宛委自复,回环重复
若踞而候也、若攬而有也、
欲进而却,欲止而深。

若踞而候也。 如人踞然不动,而有所待然。若揽而有也。 如贵人端坐,器具华陈,揽之而有余。欲进而却,欲止而深。

勢は南北・東西にくねるようにのびて、地形はいく重にもかさなりあってめぐる。
それは人のうずくまるように不動。
何かをまつような姿をもつ。あるいは、貴人が座席に端座して、器物を観賞する姿にでもある。
進もうとしてかえって退き、止ろうとして深きに沈む。

来积止聚,冲阳和阴。
土高水深,郁草茂林。
贵若千乘,富如万金。
来山凝结,其气积而不散;止水融会,其情聚而不流。斯乃阴阳交济,山水冲和也。
土高水深,郁草茂林。

来山は気を積層(”ためこんで”)して拡散させず、止水はその思いを融和させて、気を積集して流すことはしない。これこそ陰陽こもごも交差して山水の中和するところである。
土壌が高く水流の深い地で、草や木が鬱蒼(うっそう)と茂る地は、その貴重なこと千乘の国(大国)、萬金の富に当たる。

经曰:形止气蓄,化生万物,为上地也。
堂局完密,形穴止聚,则生气藏蓄于中矣。善葬者因其聚而乘之,则可以福见,在昌后裔。如万物由此气而成,化育之功,故为上地。地贵平夷,土贵有支。

支之所起,气随而始;支所终,气随以钟。此言平支行度体段,原其始则气势随之而行,乘其止则气脉因之而钟,观势察脉,则可以知其气之融结矣。

ゆえに、地形が完全で気が止まり凝集する地は、生気が地中に蓄蔵されて、あらゆるものを生み出す力をもつ。これこそ最上の地である。
大地は平坦を貴び、土質は有支を貴ぶ。
支龍の起点より気は流れ始まり、支龍の終着点に気はずっしりと凝集する。

观支之法,隐隐隆隆,微妙玄通、吉在其中、隐隐,有中之无也;隆隆,微妙玄通,吉在其中。其体段若盏中之酥,云中之雁,灰中线路,草蛇踪,生气行乎其间,微妙隐伏而难见,然其吉则无以加矣。  

支龍を見い出す方法は、ものありて無きがごとく、その無くしてあるがごとく、まことに微にして妙。吉運はその中にある。

经日:地有吉气,土随而起;支有止气,水随而比。势顺形动,回复始终,法葬其中,永吉无凶。

ゆえにいう、大地に良吉な気があれば、土はもり上り、支龍に気がとどまることあれば、水は地形になじみ、勢順形相互に感応して流れめぐる。こうした地に埋葬すれば永く吉運を得て凶運なし。

山者势险而有也,法葬其所会。
但乘其来,即知其止。擇其所相、
避其所害、
是以君子奪神功改天命

山丘の峻険な地にあっても、それほど険しくないところがある。その地の気の止まり調和するところを求めて埋葬すべきである。
 生気の乗るところに乗じようとすれば、その地の来歴を調べ、その地相を選び、悪害の来るところを避けるべきである。
ゆえに、君子は陰陽の枢機を用いてその妙を運用し、風水の神功をとって天命をも変えることができる。

祸福不旋日。经曰:葬山之法若呼吸,中言应速也。

禍福は日をめぐらずというのは、ゆえにいう、山に埋葬する方法は、呼吸のように息を吐き吸うようなもので、その逆と順、すなわち禍と福とが直ちにあらわれることをいう。

山之不可葬者五:气以生和,
而童山不可葬也。
气因形来,而断山不可葬也。
气因土行,而石山不可葬也。
是未可以石为嫌也。  
气以龙会,而独山不可葬也。
经曰:童断石过独,生新凶而消已福。

埋葬すべきでない山に五つある。生気は調和を生むが、童山(はげ山)には埋葬してはならない。
気はもともと土によって形となる。したがって断ち切られたような山容をもつ山には埋葬すべきではない。
生気は土によってめぐる。石山には葬るべきではない。
生気は山勢によってとどまる。したがって過山(両端が垂直に切れた山)には葬るべきではない。
生気は龍脈によって会集する。したがって、単独で聳える山はよろしくない。
ゆえにいう、童山断山石山過山獨山に埋葬すれば、新たな凶事を生み福を消す。

上地之山,若伏若连,其原自天。
若水之波。若马之驰。
原其起,若马之奔腾,将欲止,
如马之及厩。其来若奔。其来也,奔驰迅速,如使者之告捷。其止若尸。  
其止也,若尸居不动,无复在去意,若怀万宝而燕息。众山朝揖,万水翕聚,如贵人燕安休息珍[缺],富如万金,若揽而有也。若肯万善而洁齐。


葬地としての良地は、伏すような姿をもち、天から発してつらなるようにみえ、山形は水の波ように、あるいは馬の馳るように見える
その姿を迎え見るに奔馬のようであり、その止まった姿は不動の姿は貴婦人のようだ。。
多くの宝物を抱くような形、心やすらぐ形態をもち、

如器之盛物,满而溢 ,言气之止聚也。若龙若弯,或腾或盘。
若龙之般旋,蛮之飞腾,言其活动有皖蜒翔舞之体段,无破碎死蠢之形状。禽伏兽蹲,若万乘之尊也。

多くの善行をもって精進潔齋するように、余祐あってゆったりした形
気に満ちた橐のように、食物を一杯に満した器のように、
龍のようにあるいは鳳凰のように、舞い上りぐるりと回る、そうした山容をもつ。
鳥は伏し獣もうずくまるほど尊い山。

来势如虎出深林,自幽而渐显气象,蹲踞而雄壮;止势如鹰落平砂,自高而渐低,情意俯伏而驯顺,气象尊严,拥护绵密,若万乘之尊也。无光发新。

見わたす限り気象清麗、天より光あらたに、海のはて星のはてまで服従させ、
龍や虎が相い守って 抱 を形成し、主実相応する地だある。

四势即龙、虎、主、客也,贵乎趋揖朝拱,端正严而不刺侧,明净而不模糊。情势如此,乌有不吉?更欲不亲五害。五害者,童、断、石、独、过也。

四勢(龍虎玄武朱雀)相い応じて明浄な地は、五害(童断石独過山)にはふさわしくない。
述べた上地の十一の状情に欠けるところがあるものは、その次の段階になる。

五害(童断石独過山)
童山=はげ山、断山=断崖 石山 独山 過山
五害のある山は、不安定な状態そのような五害の山に、父母を埋葬すべきではないと言える。

葬書の表すもの

①自然界の旺盛な生命エネルギー

葬者乘生氣也、五氣行乎地中、然而生乎萬物、人受體於父母本骸、得氣遺體受廕

葬ることは生気に乘せることである。しかるに、五行のそれぞれの気は地中をめぐって、萬物を生み出しているからである。人はその身体を父母の骸骨より受け、気を得てその身体を全くして、父母の廕(たすけ)をうける。

自然界の膨大なエネルギーを利用して、人は生きています。自然界のエネルギーは人を生かし、その五行(木火土金水)は地中をめぐり全てにエネルギーを与えています。万有に生命力の源を与えているので、形を作ることができます。しいて言えば、生命力が形を作っているため、形が存在するということは、どんなものにも生命エネルギーはあるといえます。

②蔵風得水の法

風水之法、得水為上、藏風次之 經曰、外氣横形、内氣止生、蓋言此也、

風水の法は、水を得ることを最上とし、風を蓄えることはこれに次ぐ。ゆえにいう、外気(水流)は横(東西)に流れ、土の中の内気は生に止まる、というのはこのことをいう。

風水でいう基本は、水があることが大切であると言えます。水はすべての生き物を生かし、成長させ、増幅、繁殖させてくれます。水があって、次に風を蓄える。風は、空気、自然界の息吹と言えます。山が呼吸し、人がその息吹に感応する天人和合となる瞬間、内気はたまり、蔵風得水の場はつくられます。

③地勢の基本

地勢原脉、山勢原骨、委蛇東西、或為南北千尺為勢、百尺為形 勢来形止、是謂全氣、全氣之地、當葬其止、

地勢の原脈、あるいは山勢のもとの骨組みは、東西、南北に蛇行する。千尺(しゃく)の範囲を勢といい、百尺(しゃく)の範囲を形という。遠く地勢の来現を見きわめ、近くの地形の変化を察する。これを気を全うするという。気を全うする地のその気の止まるところに埋葬すべきである。

勢は千尺(約220m~300m) 形は百尺(22m~30m)山が向いている状態を見極めます。龍の頭が自分の方に向いているとき、その山のすそ野。地勢がこちらに向かってきて、山がなだらかに平地と交わる場所が気脈が収まる場所を全気(全氣之地)といいます。

④四神獣

龙虎抱卫,主客相迎。 几真龙落处,左回右抱,前朝后拥,所以成其形局也。未有吉穴而无吉。案:若龙虎抱卫而主客不相应,则为花假无疑。  四势朝明,五害不亲。

龍が虎を抱いてお互いを迎え、あいさつをし、左まわりに抱いて前後を守る形はよい形
龍と虎が合わず挨拶もしない形はよくない形であり、四つの勢(せい)
は五害を受けてしまうと言います。
陰宅、陽宅において、左を青龍、右を白虎として、後を玄武、前を朱雀とするとよい。

(1尺が22センチ(最近の1尺は30.303センチ))
もともとは、親指から中指までの長さで測っていたため、1尺の長さは時代とともにからっています>

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