風水の草創期
時代は前漢建国の前後、三国時代,曹操、劉備の暴れまわった時代に管輅(かんろ)は生まれました。
管輅は、三国時代に生まれた神童でした。この管輅、古代中国 風水発展の草創期に生まれ、48歳でなくなるまで、様々な占術に精通していました。
風水草創期 人物 楊 筠松はこちら(紀元618年〜1279年)

管輅(かんろ)は三国時代。字は公明。冀州(きしゅう)平原郡の人。
あざなを公明 紀元209-256年
中華五術に精通し、時代の寵児、神童として多くの逸話を残しています。
冀州平原郡 現在の中華人民共和国山東省徳州市平原を中心とした地域で
日本から見れば韓国、北朝鮮の対岸に位置し四季に富んだ地域に生まれました。


管輅は、三国時代に生まれた風水師の元祖と行っていいほどの人物です。管輅は幼少時から天体に非常に関心を持ち、地面に、日月星辰を描いたりするほど星読みを得意とし、あらゆる占術を身に着け、陰宅 陽宅 としての家相 地相 龍脈を読み取る術に長け、中華五術に明るく、大地の脈を見て 明堂 龍脈をよく探し出し、骨相 人相 千眼によって、一族の行く末を見通してきました。
星読みをベースに 人の骨相により多くの人の未来を見てきました。まさに天から愛された先知先烈として中華風水の草創期(前漢時代から東晋時代)に活躍しました。
管輅と 四神
四神について
北 玄武 玄天上帝 玄帝 北の宿星の守り神 亀と蛇が重なった聖獣
南 朱雀 神鳥 炎帝 南の宿星の守り神 赤い孔雀を描かれる。
西 白虎 白帝 西の宿星の守り神 白いトラが描かれる
東 青龍 神龍 蒼帝 東の宿星の守り神 青い龍が描かれる

四神神獣と地形の関係を表しました。特に墓相としての陽宅風水の元祖ともいえるでしょう。
忠孝信義は人の基本
忠孝信義は人の基本で大切だが心の清さやどうでもいいことに対する正義感は武士の余計な飾りに過ぎない
管輅は三国時代に生まれた神童ですが、道理もよく守り、主君に対しての忠孝や親に対する誠意は人としての基本だといい。その反対に、武士や学のある知識人たちは、どうでもいいことに精神を傾けていると、三国時代の時代を痛烈に批判していたりもするほどの神童でした。
また、中華五術に長けていて、今で言う透視能力や、予知、千里眼といったその時代の有識者たちも一目奥存在になっていて、安平太守の王基も、占卜には通じていたので管輅から学ぶことは多かったという
風水草創期時代
時代は三国時代
魏政権の 初代皇帝 曹操
蜀(蜀漢)の初代皇帝 劉備玄徳
呉の初代皇帝大帝 孫権
三国時代は、多くの戦いがあり、多くの人がなくなりました。大地に多くの血が流れた時代でした。人の生活に安定がなく、絶えず、強いリーダーを求めた時代でもありました。自分の家族がなくなっても、廟(びょう)の一つも建てれない平民が多くいましたが、この時代、特に先祖を敬う風習が強く、先祖の墓をどこに建てるかという 陰宅風水のほうが需要が多かった。
陰宅風水は、いくつかの選択地の中で、その土地の雰囲気、美しいのかそうでもないのかを選択し、お墓を設ける技法です。古代中華の人は、親孝行者は 先祖のムクロを安置するという思いもあり、祖先を祀ることにより,子孫に利益をもたらすとも考えていました。

三国志演義
三国志演義には、管輅についての逸話が多く載っています。(ものがたりとしてですが、)
管輅の日常の中で、郊外を歩いていると、若者が田を耕していました、年の頃は数えで19歳ほどの若者です。名を趙といいあざなを願と言いました。管輅が田を耕している趙願の姿をしばらく見ながら、立ち止まり、
「眉間に死気気がある。三日以内に必ず死ぬ。これは仕方のないこと」と田んぼを耕す趙願に言いました。

言われて趙願は非常に慌てて、手に持った鍬を捨てるようにして父親のまつ家に駆け込み 管輅に言われた言葉そのままに、年老いた父に話すと わなわな震えながらも家にある酒を持ち、管輅のもとへとかけていきました。
管輅は、郊外の散策をおえて屋敷に戻ってきたところに、先程、田を耕していた趙願とその横の老人に目を向けて”何用だ”とばかりに目の前の2人言葉を投げかけます。
「師匠様。私にはこの子しかおりません。」と涙ながらに、今から来る災いを避ける方法はないのかと言いながら、手にある酒を管輅に渡そうとすると、天の法は私には曲げられない。と言いながらも趙願父子に知恵を授けた。
「その酒と鹿の干し肉ひとかたまり持って、明日南の山にゆき、山頂近くの桑の大木の立つ場所に行きなさい、そこで囲碁を打っている老師がいるから、勝負が佳境に入ったら、そのすきに ひざまずいて酒と鹿の干し肉を勧めなさい。」
次の日、陽も出ないうちに趙願と父親は 南の山に向かうと、たしかに山頂付近の桑の大木の幹に大きな穴があり、幹にあいた穴の中で、ひげを大きく蓄えた二人が囲碁を指していた。囲碁に夢中な二人は 趙願と父親が近くにいてもわからない。まさかこんなところに人間が来るとも思っていないのだろう。
趙願はひざまずきながら囲碁をする二人に近づき、そろりと酒の入ったお椀を渡すと、囲碁に夢中な二人はぐびっと酒を飲み、干した鹿肉をもぐもぐとかい摘み食し、飲みを繰り返しすっかり飲み食いしてしまった。
そこで、若い趙願が大きな声で泣きながら二人に訴えて、
「寿命がほしい~~~助けてください。」とひれ伏して懇願すると、
「お前は、趙願ではないか、お前の寿命は、明日尽きることになっていたはず。」誰の入れ知恵か、といいい、白い着物を着た老人は無碍に断ろうとした。しかし、赤い着物を着た人物に、「酒をいただき、鹿肉もたらふく食ったではないか」と白い着物の老人に言う。

確かに人に施しを受けてそのままにはしておけないと、白い着物の老人が、懐より一枚の帳簿を出し、ペラペラめくり趙願の名の書かれたページを開いた。
そのページに書いてある言葉が、趙願 十九と書いてある、そこに筆を立て十の数字の前に九の字を書き足し九十九と書き足して言った。
「わしらが、ここで囲碁を打つのを誰に聞いた」「…………」
「さては、管輅か」というと、二人は大白鳥に姿を変え、南も空へ飛んでいった。
残った碁石は金に変わっていたので、それを持って、管輅のもとへと帰っていき。
「あの方たちはどのような方なのですか」と聞くと
二人は北斗と南斗であると教えられ、集めた金を管輅に渡すと、これは、お前たちのものだと突き返されてしまったので、そのお金で北斗星君、南斗星君の廟(びょう)をたてて祀った。

南斗星君 道教思想の中で、神格化された「生」を司る温和な性格をしていて、炎の様に燃え上がる赤を好み、若者のときは美しく、老人のときは醜い姿であらわれる。
対する存在として北斗星君がいる 生と死を司る二人が許可すれば、人の命を伸ばすことができる
北斗星君 道教の中で 神格化された「死」を司る厳格な性格をしていて、氷のような透き通った衣装に身をまとい醜い老人の姿をしている。懐に帳簿を忍ばせ、死んだ人間の生前の行いを調べて、行き先を極楽にするか はたまた地獄にするか決定しする裁判官。日本で言う閻魔大王。
神格化された管輅はスーパーフォーチュンテラー
管輅の逸話には、このように神格化された存在や、妖怪、鬼神のたぐいが多く出てきます。現代に生きる我々にとって経験していないものをそのまま鵜呑みにはできないと言うものや、はたまた、管輅自体存在していない物語だと言うものもいる。
しかし、過去に目をやり、現代に至るまで長い年月をかけて体系化されて伝承されてきている、中華五術にしても、易経や、三国志演義 方技伝といった書物が残っているおかげで、多くの伝承や法則、規律を現代の人々の知恵で検証もできる。 まずは管輅という三国時代に生まれた神童、スーパーフォーチュンテラーがいたことを覚えておくのもよいのではないだろうか。
