【易経】山水蒙(やますいもう)六四卦 易経 周易で観る八人家族の関係性 六十四卦 四番
山水蒙(やますいもう)

六十四卦の四番目に位置するのが、山水蒙(さんすいもう)。次男の坎卦(かんけ)も上に、艮卦(ごんけ)が乗っかっている形になります。

上卦は、艮卦☶(ごんけ)です。艮卦は陰爻2段の上に陽爻が乗った形で、家族においては末っ子 三男をあらわします。八卦においては山を表しています。
下卦は、坎卦☵(かんけ)です。坎卦は、陰爻に陽爻が挟まれた形で、家族の中では、次男を表し、八卦においては、水を表しています。
山水蒙
六十四卦の四番目に位置するのが山水蒙(さんすいもう)です。この卦は、大いなる天地という父母の懐から生まれた新しい命が、初めて直面する「未知の世界」との対峙、すなわち教育と啓蒙の始まりを象徴しています 。三番目の卦である「水雷屯(すいらいちゅん)」が、産みの苦しみと生命の誕生を表していたのに対し、この「山水蒙」はその生まれたばかりの幼い知性が、霧(蒙)に包まれた視界の中でいかにして真理という光を求め、愛を学び、徳を育んでいくべきかという、教育の「真心の作法」を解き明かす物語となっています 。
山水蒙(さんすいもう)は壮年と言える年齢のいった長男が、青年と言える次男を肩車しているので、プライドが邪魔した卦でありましたが、この山水蒙(さんすいもう)は青年が幼い末っ子を肩車した形ですので、感情的に、プライドもなく 素直に末っ子を可愛がる次男であるため、愛情が先に進んだ卦といえます。そのため、次男 坎卦(かんけ)は素直に末っ子、艮卦(ごんけ)に愛情を降り注ぎ、末っ子艮卦(ごんけ)は次男 坎卦(かんけ)に甘えているといえます。

未成熟な末っ子を導く、次男の姿が見て取れるのが、山水蒙(さんすいもう)と言うかたちとして現れました。故に、
まだ世間を知らない幼い末っ子を抱きかかえて知恵や知識を教えてあげたいし、人を愛することを身をもって教えている青年としての清々しい次男に、末っ子が、素直に受けている姿です。山水蒙(さんすいもう)の蒙は、蔓草(つるくさ)の一種で、樹にはびこりつながるツタなので、末っ子が、次男から多くのことを学び、また、次男は、幼い頃の自分を末っ子に照らし合わせて、過去を思いながらも、未来に伸びる末っ子の可能性に対し嬉々とした喜びを感じています。

若さは時として暴走しますが、正しく教育すれば、より良いことを吸収します。悪は教育しなくてもどれだけでも伸びていきますが、善は、良き指導者に会って正しく教育を受けなければ、人は善に生きることがありません。故に、あらゆる進歩のために、謙虚に学ばなければならないことを、水山蒙(さんすいもう)は示しています。
私達の心の中には、すべてのものが備わっていますが、我々の中に存在する無限の財宝を知るための方法は、謙虚に学び、育てていかねばなりません。山水蒙(さんすいもう)はそういった謙虚な心で学ぶことを勧めています。
家族の情景:穏やかな自然の中で育まれる徳のしずく
私たちの家族が暮らす風景の中には、常に山と水が共存しています。霧深い朝、三男は静かに山道を登り、頂から昇る太陽を仰ぎます。その足元では、次男が清らかな泉を見つけ、その冷たさに驚きながらも、水の美しさに心を奪われています。
母(坤・地)は、そのすべてを包み込む大地として、二人の足元を支えています。父(乾・天)は、高い空から霧を払う暖かな光を注ぎ、学びの時が来たことを告げます。長男(雷)の勇気や長女(風)の優しさ、次女(火)の聡明さや三女(沢)の喜びもまた、この「学びの場」を彩る大切な要素です。
三男が次男に語りかけます。「水は、どんな形の器にも合わせることができる。でも、自分の本質を失うことはないんだよ」。次男はその言葉を、泉のせせらぎとともに心に刻みます。ここでは、教える側と教えられる側の間に上下関係はありません。あるのは、互いの徳を磨き合うための、深い信頼と共鳴だけです。
このような家族の風景は、私たちに「真心の作法」を教えてくれます。それは、言葉で飾られた知識ではなく、共に時間を過ごし、共に自然の美しさを愛でる中で、自然に伝わっていく魂の香りのようなものです。この地域の山々が霧に包まれるたび、私たちはそこに眠る新しい命の可能性を思い、静かに愛を育むのです。
(易経)に悪を遏めて善を揚げ、天の休命に順うとあり。
良し悪し運不運は天(天帝、見えない宇宙の力)にある
この卦象が描くのは、霧深い山の下から清らかな泉がこんこんと湧き出し、まだ進むべき道を知らずに湛えられている風景です 。次男(水)は、生命力に満ち溢れながらも、自らの行く先を定める知恵をまだ持っていません。一方、三男(山)は、その泉を優しく、しかし厳然と包み込み、水が溢れて正しい流れ(大河)となるのを静かに待っています。
家族の中で、三男は末っ子に近い存在でありながら、ここでは「山」としての重厚さを持ち、兄である次男の「水」のような危うさを導く役割を担います。これは、易経が単なる年齢順ではなく、その魂が持つ性質(象徴)の組み合わせによって、愛の力学を説明しているからです 。三男のどっしりとした「見守る愛」と、次男の「求める心」が重なり合うとき、霧は晴れ、家族の徳は大海へと至る道を見出すのです 。
愛の解釈:霧を晴らす「真心の作法」と教育の物語
山水蒙が教える愛とは、知識を一方的に教え込むことではなく、相手の心の中に眠る「徳」の種を、いかにして優しく、かつ規律を持って芽吹かせるかという「教育の愛」に他なりません。
師を求める「童蒙」の純粋さ
この卦において最も重要な教えの一つに、「我より童蒙(どうもう)を求むるにあらず、童蒙より我を求む」という言葉があります 。これは、家族や地域社会における愛の交流において、教える側(三男/山)から押し付けるのではなく、学びたいと願う者(次男/水)の自発的な意志を尊重すべきであることを示しています。
次男はまだ若く、社会の複雑さや人生の険しさを知りません。その視界は、山の霧に包まれたように曖昧で、不安に満ちています。しかし、その不安こそが「真理を知りたい」という純粋な渇望、すなわち「志」へと変わる瞬間があります 。このとき、三男は自分から手を差し伸べるのではなく、次男が自分の力で「教えてください」と一歩を踏み出すのを待ちます。愛とは、相手が自立し、自らの足で歩き始めるための「待ちの時間」を共有することでもあるのです。
山と水が織りなす「信頼」の風景
山の下に湧く泉は、放っておけばただの溜まり水になり、やがて濁ってしまうかもしれません。しかし、山という不動の存在がその輪郭を形作り、水の勢いを適度に抑えることで、水は清らかさを保ち、やがて谷を下り、平野を潤す大河へと成長することができます 。
これを家族の物語として読み解けば、父(天)の威厳と母(地)の慈愛に守られた家の中で、三男が示す「止まることの美徳」が、次男の「流れるエネルギー」と調和する姿となります。三男は次男に対して、「なぜ学ばないのか」と責めることはしません。ただ、自分自身が山のように泰然と構え、徳を磨き続けることで、次男にとっての「仰ぎ見るべき目標」であり続けるのです 。この「無言の教え」こそが、真心の作法における最高峰の愛といえるでしょう。
蒙とは
「蒙」という漢字は、草が冠のように頭を覆い、中が見えない状態を表しています 。これは、生まれたばかりの幼児や、新しい仕事を始めたばかりの人が、先行きを見通せずに迷っている姿そのものです。しかし、この「見えない」という状態は、決して否定されるべきものではありません。
東洋の知恵において「蒙」は、無限の可能性を秘めた「蕾」として扱われます。霧の中に隠されているからこそ、そこには何者にも染まっていない「天真(てんしん)」な輝きが守られています。三男(山)が次男(水)を教え導くとき、この「蒙」の状態を無理に暴くのではなく、霧が自然に晴れるまで、その幼さを慈しむ心を持つことが、愛の基本なのです 。
山水蒙(さんすいもう)のイメージ
蒙亨。匪我求童蒙。童蒙求我。初筮告。再三涜。涜則不告。利貞”
「蒙」の時、通じる。生徒が先生を求めて乞うのが本来の教育の姿である。最初の筮が告げる。再三は心を汚す。
蒙(もう)は無知蒙昧の蒙、若き頃に学ばず、放蕩(ほうとう)し、親からの財産を散財することは決して褒められることではない、学びのときを忘れてはならず、学ぶための先生を求めるのが、生徒の本来の姿である。と言っている。また、この卦が気に入らないといって、再度、卦を見ることは、心に邪(じゃ)が残ることを行っている。学びの場に置いて、幼い子供は、素直に吸収する。愛情のない教育は、心を汚すゆえ、次男が、末っ子を見るように、未来の可能性を見据え、無限に広がる可能性を育てる愛情があってこそ、人は伸びる。
教育が必要なときに、必要なだけ、学びを求める生徒がいれば、」その心に答える先生でなければならず。その子に、わざわざ悪を植え付ける先生や、親はいないはずである。

もしそこで、悪を教える、先生や親であるなら、その心には、悪心が宿る。故に、「蒙」の時、通じるなら、影に日向に、大樹より、栄養を吸う蔓草(つるくさ)のように、栄養を与えてあげる場を表すべきであることを言っています。
山水蒙(さんすいもう)の六爻
山水蒙(さんすいもう)の六爻は、下から順番に、初爻、二爻。三爻、四爻、五爻、六爻の並びが、初陰、二陽、三陰、四陰、五陰、上陽と並んだ状態を山水蒙(さんすいもう)といいます。
五徳とは、
古来より孔子が示した徳目であります。温良恭倹譲((おんりょうきょうけんじょう)を言い、穏やかで、つつましく、素直で、うやうやしく、つつましく、控えめ。
家和して万事なるともいえる。

六爻の位置は社会的位置を表しています。 初爻は庶民、二爻は士、三爻は大夫(たいふ)、四爻は公卿(こうけい)五爻は、君主、上爻は隠居した君主、あるいは知識人となります。

上陽 あまりにも硬くなで厳格過ぎれば、周囲に害を与える。無知ゆえの老害である。高い地位になればうやうやしくあれ、自らを戒め、外部からの害を防ぐがよい、そうすることで、道が正され、導く方も、導かれる方も進むことができる。

五陰 どんなに年齢を過ぎても、たえず教えを請い幼子のごとく求めていくならその姿勢は吉となる。たとえ地位が高くとも、無知を知り、求めてゆけばよい。

四陰 一生涯、無知に苦しむ、それは、賢明な指導者に恵まれないからである。目先にのみとらわれ、ケチの極みである。

三陰 この女を、妻にしてはならない。金持ちとみれば誘いをかけ、色艶で惑わす。身持ちの悪いことはなはだしい。物事がうまくいかない。

二陽 何も知らない幼児を愛し、妻と語り合い、吉となる。母を助けることは陰徳、五徳でである。五徳は家庭が収まる秘訣ともなる。

初陰 無知からは、何にも生まれない。無知なものは刑罰をもって処罰するしかなく。規律、ルールは必要である。放任はただのケチなしぐさにすぎない。
変卦:愛が動く、変化の法則
易経が「変易(変化し続けること)」を説くのは、この宇宙に停滞するものは一つもなく、変化こそが生命の本質だからです。私たちの愛もまた、常に揺れ動き、変化の波に洗われています。その変化を単なる「運勢の浮き沈み」として恐れるのではなく、自分自身の「愛の形」を修正するための大切な「機(きっかけ)」として捉えることが、信喜びへと繋がります。
人生の浮き沈みと愛の修正
人生には、何をやってもうまくいかない「どん底」の時もあれば、すべてが思い通りに進む「最高潮」の時もあります。しかし、易経の視点に立てば、そのどちらの状態も「愛を習得するための試練」に過ぎません。
例えば、どん底の時に現れる変化は、私たちがどこかで「愛の作法」を忘れ、傲慢になっていたことへの修正かもしれません。逆に、絶好調の時に訪れる変化は、さらなる高みへと魂を引き上げるための、より深い愛への挑戦です。変化が起こる理由は常に一つ――私たちが、より純粋で、より誠実な愛し方を学ぶためなのです。
九二が動くとき:包容から「本質への回帰」へ
山水蒙の物語において、最も理想的な指導者である「九二(三男の象徴)」が変化した場合を見てみましょう。九二は、すべてを包み込み、教育を施す中心的なエネルギーですが、その心が動く(爻が変ずる)と、物語は次の卦へと移行します。
- 変化後の卦の番号: 第二十三番
- 変化後の卦の名前: 山地剥(さんちはく)
- 運気の具体的な変化: 「多くの者を包容し育てる時期」から「不純なものを削ぎ落とし、足元を固める忍耐の時期」へ 。
「山地剥」という卦は、高い山の土が崩れ落ち、地肌がむき出しになるような象徴を持っています 。これは一見すると衰退のように思えるかもしれませんが、愛の修正という観点から見れば、非常に尊いプロセスです。
私たちが誰かを教え、導き、包容しているとき、いつの間にか「自分が教えてやっている」という慢心や、相手への「見返り」を求める心が混ざり込んでしまうことがあります。そのような不純な愛が積み重なると、運命はあえて「剥(はく)」の現象を起こし、余計な飾りを剥ぎ取ろうとします 。
もしあなたが今、大切に築いてきたものが崩れていくような不安を感じているのなら、それは変化した後の卦である「山地剥」が、あなたに「真の土台」を見つめ直すよう促しているのかもしれません。表面的な成功や知識を失った後に残る、たった一つの「誠実な心」。それこそが、あなたが次に進むべき道を示す光となります 。
変化した後の卦の番号をぜひ探してみてください。そして、今のあなたの状況がどのような「愛の修正」を求めているのか、静かに胸に手を当てて対話してみてください。変化を愛し、変化の中に神聖な導きを見出すとき、私たちの魂はさらなる調和へと導かれるでしょう。
変化の先にある新しい愛の物語が、あなたを待っています。
64卦
周易 上経 30卦
| NO | 六爻 | 上卦 | 下卦 |
| 1 | 乾為天 (けんいてん) | ☰ 乾 | ☰ 乾 |
| 2 | 坤為地(こんいち) | ☷ 坤 | ☷ 坤 |
| 3 | 水雷屯(すいらいちゅん) | ☵ 坎 | ☳ 震 |
| 4 | 山水蒙(さんすいもう) | ☶ 艮 | ☵ 坎 |
| 5 | 水天需(すいてんじゅ) | ☵ 坎 | ☰ 乾 |
| 6 | 天水訟(てんすいしょう) | ☰ 乾 | ☵ 坎 |
| 7 | 地水師(ちすいし) | ☷ 坤 | ☵ 坎 |
| 8 | 水地比(すいちひ) | ☵ 坎 | ☷ 坤 |
| 9 | 風天小畜(ふうてんしょうちく) | ☴ 巽 | ☰ 乾 |
| 10 | 天沢履(てんたくり) | ☰ 乾 | ☱ 兌 |
| 11 | 地天泰(ちてんたい) | ☷ 坤 | ☰ 乾 |
| 12 | 天地否(てんちひ) | ☰ 乾 | ☷ 坤 |
| 13 | 天火同人(てんかどうじん) | ☰ 乾 | ☲ 離 |
| 14 | 火天大有(かてんたいゆう) | ☲ 離 | ☰ 乾 |
| 15 | 地山謙(ちざんけん) | ☷ 坤 | ☶ 艮 |
| 16 | 雷地豫(らいちよ) | ☳ 震 | ☷ 坤 |
| 17 | 沢雷随(たくらいずい) | ☱ 兌 | ☳ 震 |
| 18 | 山風蠱(さんぷうこ) | ☶ 艮 | ☴ 巽 |
| 19 | 地沢臨(ちたくりん) | ☷ 坤 | ☱ 兌 |
| 20 | 風地観(ふうちかん) | ☴ 巽 | ☷ 坤 |
| 21 | 火雷噬嗑(からいぜいこう) | ☲ 離 | ☳ 震 |
| 22 | 山火賁(さんかひ) | ☶ 艮 | ☳ 震 |
| 23 | 山地剥(さんちはく) | ☶ 艮 | ☷ 坤 |
| 24 | 地雷復(ちらいふく) | ☷ 坤 | ☳ 震 |
| 25 | 天雷无妄(てんらいむぼう) | ☰ 乾 | ☳ 震 |
| 26 | 山天大畜(さんてんたいちく) | ☶ 艮 | ☰ 乾 |
| 27 | 山雷頤(さんらいい) | ☶ 艮 | ☳ 震 |
| 28 | 沢風大過(たくふうたいか) | ☱ 兌 | ☴ 巽 |
| 29 | 坎為水(かんいすい) | ☵ 坎 | ☵ 坎 |
| 30 | 離為火(りいか) | ☲ 離 | ☲ 離 |
周易 下経 34卦
| NO | 六爻 | 上卦 | 下卦 |
| 31 | 沢山咸(たくざんかん) | ☱ 兌 | ☶ 艮 |
| 32 | 雷風恒(らいふうこう) | ☳ 震 | ☴ 巽 |
| 33 | 天山遯(てんざんとん) | ☰ 乾 | ☶ 艮 |
| 34 | 雷天大壮(らいてんたいそう) | ☳ 震 | ☰ 乾 |
| 35 | 火地晋(かちしん) | ☲ 離 | ☷ 坤 |
| 36 | 地火明夷(ちかめいい) | ☷ 坤 | ☲ 離 |
| 37 | 風火家人(ふうかかじん) | ☴ 巽 | ☲ 離 |
| 38 | 火沢睽(かたくけい) | ☲ 離 | ☱ 兌 |
| 39 | 水山蹇(すいざんけん) | ☵ 坎 | ☶ 艮 |
| 40 | 雷水解(らいすいかい) | ☳ 震 | ☵ 坎 |
| 41 | 山沢損(さんたくそん) | ☶ 艮 | ☱ 兌 |
| 42 | 風雷益(ふうらいえき) | ☴ 巽 | ☳ 震 |
| 43 | 沢天夬(たくてんかい) | ☱ 兌 | ☰ 乾 |
| 44 | 天風姤(てんぷうこう) | ☰ 乾 | ☴ 巽 |
| 45 | 沢地萃(たくちすい) | ☱ 兌 | ☷ 坤 |
| 46 | 地風升(ちふうしょう) | ☷ 坤 | ☴ 巽 |
| 47 | 沢水困(たくすいこん) | ☱ 兌 | ☵ 坎 |
| 48 | 水風井(すいふうせい) | ☵ 坎 | ☴ 巽 |
| 49 | 沢火革(たくかかく) | ☱ 兌 | ☲ 離 |
| 50 | 火風鼎(かふうてい) | ☲ 離 | ☴ 巽 |
| 51 | 震為雷(しんいらい) | ☳ 震 | ☳ 震 |
| 52 | 艮為山(ごんいさん) | ☶ 艮 | ☶ 艮 |
| 53 | 風山漸(ふうさんぜん) | ☴ 巽 | ☶ 艮 |
| 54 | 雷沢帰妹(らいたくきまい) | ☳ 震 | ☱ 兌 |
| 55 | 雷火豊(らいかほう) | ☳ 震 | ☲ 離 |
| 56 | 火山旅(かざんりょ) | ☲ 離 | ☶ 艮 |
| 57 | 巽為風(そんいふう) | ☴ 巽 | ☴ 巽 |
| 58 | 兌為沢(だいたく) | ☱ 兌 | ☱ 兌 |
| 59 | 風水渙(ふうすいかん) | ☴ 巽 | ☵ 坎 |
| 60 | 水沢節(すいたくせつ) | ☵ 坎 | ☱ 兌 |
| 61 | 風沢中孚(ふうたくちゅうふ) | ☴ 巽 | ☱ 兌 |
| 62 | 雷山小過(らいざんしょうか) | ☳ 震 | ☶ 艮 |
| 63 | 水火既済(すいかきせい) | ☵ 坎 | ☲ 離 |
| 64 | 火水未済(かすいびせい) | ☲ 離 | ☵ 坎 |

